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「さっきそこでミスタ・ブレイクニーに会ってね」
「何かあったのかい?」
「いや、ようやく彼の無理のない笑顔を見たよ。永久に片腕を失ったことを感じさせない明るさがあった。
きみのおかげだろ、え、名医さんよ!?」
「ジャック。ぼくは自分のできることをしただけだよ」
「だったら訊くが、きみにできないことなんてあるのかい?」
「できないこと? もちろんあるさ…たくさんある。
だが、それが何なのか分からないから怖いんだ。その怖さを少しでも回避するためにも、
とかく知識の蓄積に対しては、貪欲にならざるを得ない。きみもそうだろう?」
「好奇心旺盛なドクターほどではないがね。知る喜びというものは素晴らしい」
「ああ。知れば知るほど、さらにその先を知りたくなる。
書物に書かれた文字を追うだけでは足りない。実際にこの目で見たいし、この手で触れてみたい。
知識はいくらあっても足りないと思うし、生きている限り決して満足することはないのだろうなぁ…」
「…だから船に乗るのか、スティーブン?
まだ見ぬ海の向こうに、君の求める知識があると?」
「どうだろう…。あるいは、案外すぐ近くにあるかもしれない」
「はははっ! きみに知ならぬ血を提供する怪我人や病人のサンプルには事欠かないからなぁ。
この船の連中ときたら、一人残らずみんなきみを頼りにしている。
何かっていうとすぐに "ドクターを呼んでくれ!" ときた。
艦長よりドクターなんだからな。いやはや、ぼくは面目丸潰れだ」
「ふん…。分かってないね、きみ」
「ああ?」
「分かってないよ、本当に…くくっ」
「おいおい。待ってくれよ。
ぼくは何かきみに笑われるようなヘマをやらかしてるかい?」
「いや、失敬。
ぼくが言いたいのはね、オーブリー艦長、きみはぼくなんかよりもずっと魅力的だということさ…」
分かってないんだね、ジャック・オーブリー。
きみこそ、ぼくの神秘なんだよ。
まったくね…。きみの何がぼくをこれほど夢中にさせるのか…。
きみという人間を知り尽くし、味わい尽くすには、ぼくの一生をかけても足りないだろう。
―――きみが海に出るから、ぼくもそこに行くのさ…。